今年の抱負は、ありません
実はこの記事は、タイトルから内容まで全て書き改めたものだ。
昨晩、もう年も明けようかという時刻に、競馬ファンとしての具体的な今年の目標と決意をここに書いている最中だった。何の気なしに自動再生にしてあったユーチューブから聞こえてきたのは、数年前のラジオ番組のコーナーをつなぎ合わせたものらしい。
その内容は、ある一冊の本についてパーソナリティが語るというものだ。
「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」
これは、本のタイトルである。
著者は、ドラマやアニメ化された「すべてがFになる」の原作者の森博嗣氏だ。実は私は20年くらい前に「笑わない数学者」という作品を本屋で手に取ってからの森ミステリィ・ファンであり、当時手に入る本は殆ど読んだ。森氏の影響で出会った「ドグラ・マグラ」「宮本武蔵」なども含め、自分の感性の大部分が、青年期のこの読書体験によって磨かれたことは言うまでもない。
それから数年後、従来の血統解釈に(周期的な)世代の概念という「次元(広がり)」を取り入れた競馬研究に目覚めて多くの時間を割くようになって以来、読書自体が極端に減ってしまっていたのだが、さて、昨晩の話に戻ろう。
そのラジオ番組では、森博嗣氏のその著書の抜粋がいくつも紹介された。
それを聴いた私は、私の心のどこかにあった
何年も水をあげていない、ひからびた植物に水を与えられたような気がした。
さて、これは競馬ブログである。
これから書くことは、森氏の語る「抽象的思考」からヒントを得て私が考えた競馬予想に対する「心構え」のようなものだ。
一、具体的な目標を設定しない
例えば目標を回収率100%に設定すれば「負けないこと」に思考が限定されてしまいがちだ。則ち、「もっと勝てる新しい可能性」を排除してはいないか。
思考の自由を奪われたら、何の為の競馬予想だろうか。
自分のやり方で、自分だけの景色を見ることに価値があると思う。
予想が上手くなりたい、それだけで十分ではないか。
二、「わからない」こそがたった一つの正解
私は3場開催なら週に50レースほど予想しているが、どうしても結論を搾り出せないレースに出くわすことがある。しかしよく考えてみれば「わかった」と結論を出してどれだけの予想が外れていることか。人間は「わかった」と決め付けたらもう考えない。何も試さない。成長しない。巷の予想家たちの「自信アリ」は「思考停止」と同義だと肝に銘じよう。
三、予想は曖昧さを残したまま、精度を高める
これは競馬ブログだ。
「競馬予想とは、あらゆる情報やデータを用いて自分自身を納得させようとする試みである。」
結論から言えば、競馬予想において1着から3着までを順番どおり当てようなどとは思わないほうがいい。具体的すぎる予想は「思考停止」の上に成り立つ絵に描いた餅だ。(正月だけに..)
何となく好走しそうだ、凡走しそうだとイメージできれば充分で、あとは3着と4着の間にハッキリと境界線を設ければ精度は高まる。具体的には、とっておきの穴馬を発見したときに「4着」の可能性を考えることだ。これは改めて人気馬の取捨や他の穴馬の台頭に気を配ることに繋がる。
競馬予想とは、曖昧さを残して考え続けることによって精度が高まるのだ。
馬券の券種を考えれば、最も曖昧さを含んだ「3連複」がこの「心構え」に適していると言える。
ということで、
今年の抱負は、ありません!